声優結婚ラッシュを詐欺師に癒してもらった話

横になる

今日、私はひどく心に重く、名状し難い想いが燻っていた。 年末年始の声優結婚ラッシュである。 幸い、ほとんどの「お知らせ」に対して純粋な祝福の気持ちを持っていた。 しかし、この夜は堪えた。 とある方の「お知らせ」を見たからである。 別にガチ恋だとか、一番の推しというわけではないが年末に舞台を見たりお見送りで接近戦をしたりで自分の中で"距離感"というものが狂ってしまっていたのであろう。 とにかく、モヤモヤした感情が渦巻いていた。俗に言う「横になる」だ。

退勤後の帰路、半ば自暴自棄にコンビニで酒とつまみを買った。 そのまま浅草近くの隅田川沿いに赴いた。 そこで私は隅田川、スカイツリー、そして、奥に星を隠すどんよりとした雲を眺めていた。

喉にビールをかき込もうが心の雲は晴れなかった。 しだいにキラキラ輝く水面、燦々と煌くスカイツリーさえも見たくなくなり、眼鏡を外した。 裸眼で見る世界はなにもかもボヤボヤでシンプルだ。 SNSでいくら誰かとつながった気になっても、こういう時に傍で言葉を贈ってくれる人はいない。

詐欺師との出会い

缶ビールもほぼ飲み干した頃、心の雲霧は一瞬にして消え去った。 酔いが回ったからではない。 寒空の中、道端で酒を飲んでいるみすぼらしい私に話しかけてくる人がいたからだ。 後でわかるのだが、

彼は詐欺師である。

おそらく道で知らない人に話しかけてはお金を貸してもらうという手口だ。 彼は東北から東京に来てお金がないという。 私は東北が大好きだ。彼の話は本当か嘘か今となっては疑わしいが、その時その場所の私にとっては貴重な体験談の数々だった。 やれ「玉こんにゃく美味しいよね」だとか「仙台は都会すぎるから東北じゃない」だとか。 ひどい会話だった。楽しい時間だった。

小一時間話をして、ついにその時が来た。 彼はひどく申し訳なさそうな顔で金を貸して欲しいと言った。

私はそこで「詐欺かも知れない」と思った。 過去に似たような状況になったり、被害に合ったという話を聞いたことがある。 私は彼に対してお金は一銭も貸さないと答えた。

そう私が答えると彼は去っていった。 姿が見えなくなった後、彼から聞いた本名を検索すると寸借詐欺というワードが画面に映った。 そこで確定的に詐欺であることに気付いた。 それでも、他人にマウントを取ろうせず語ってくれるおじさんがいかに貴重か私にはわかる。 例え詐欺だったとしても、長い時間この冬の川沿いに一緒に話してくれたことには感謝しかない。

つながり

見方を変えれば泣きっ面に蜂とも言える状況だろう。 だが、決してその時の私にはそういった憎しみ恨み悔しさはなかった。 この都会の中で詐欺目的とはいえ、私に一時的なつながりをくれた。

鞄の底に押しやった眼鏡を掛け直し、私は浅草の町の方に足を運んだ。 コンビニで適当な番号を唱え、滅多に吸わない煙草を買い、吾妻橋の喫煙所で一服。

同じように近くで煙を吹いているいるおじさんたちも、きっとつながりを求めているのだろう。 しかし今の私は能動的にそのおじさんに話しかけることはできない。 「さっき変な人に会ったんですよ!」と話しかければいいだけなのに。 私も詐欺師という仮面を被れば、人と繋がれるのだろうか。

気持ち何処へやら

Twitterでいくら誰か氏〜をしても、結局誰かは誰かだ。 誰でもない私に話しかけてくれたのは紛れもない詐欺師の方である。 このまま鈍い空を見上げて酒に明け暮れたとしても、きっと感情に整理はつかなかった。

ふと気がつくと、声優の結婚で気が重くなっていたことが馬鹿みたいに思えた。 なんだ、私はただ推しという存在以外のつながりが欲しかっただけなのか。 何も悩むことはなかった。 ほんの少し心の"距離感"を誤っていただけだ。

詐欺師さん、あなたにとっては1人の詐欺対象でしかないかも知れません。 でも私にとっては雲の切れ間から星を見せてくれた存在です。

わたしはまた同じ場所で隅田川と空を眺めるでしょう。


追伸 本稿では詐欺行為に対してポジティブに書いたように読むこともできるが、もちろん到底許される行為ではない。 千円程度ならまだしも、数万円貸してしまった事例もある。 みなさんも気をつけて欲しい。

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