とあるホームレスへの追憶

長く眠っていた下書きからの投稿

駅前

朝、人々はどうでもいい用事のために駅へ向かう。
例に漏れず私もその一人、とぼとぼと最寄り駅に向かう日々を続けていた。
その日、駅前はいつもと少し違う空気が漂っていた。 元凶はすぐに目の前に現れた。
そこには路上で快活にピアノを弾くみすぼらしい高齢の男性がいた。
男は白髪の長い髭を生やしており、眼鏡を掛け、いつも帽子をかぶっていた。
演奏しているところしか目撃していないのでなんとも断言できないが、その様相から考えるにおそらくホームレスだろう。
彼がいつもいるその場所には一日中なにかしらの荷物が置かれており、その点からもやはり家がないのだろうと予想できた。
私はいつもイヤホンをして外出するのだが、そこを通り過ぎる瞬間だけはイヤホンを外して音楽に耳を傾けた。
曲名こそわからないが軽快で朗らかな雰囲気の音を鳴らしているということはわかった。
未だに私は「元気をもらう」という言葉を信じていないが、この時ばかりはなぜかそれが理解できた。
そのくせ、私は立ち止まって聞くこともなかった。 立ち止まるほど上手い演奏でもなかったからだ。ただ、通り過ぎる一瞬に力を貰っていたことは確かだった。
朝、駅前に彼が立っているという事実自体に何か(勇気か元気か、そんなもの)を受け取っていたのかもしれない。

その出会い以降、特定の時間帯に駅前に行くと彼はいつも通りピアノを弾いていた。
それが日常になり、私にとっての日々を生きる糧とまでは決してならないものの生活のうちの1%くらいにはなっていた。
彼が演奏するその駅前はそれなりに人通りの多い場所だが、誰一人その音に耳を傾ける様子はなかった。 薄情に感じるが、私のように他の人も通り過ぎるその一瞬だけ元気をもらっていた可能性もある。 なんだか冷淡なスタンスかもしれないが、それでも私はその男を心の中で応援していたし、ひょっとするとみんなも応援していたのかもしれない。

今風に言うと彼を推していたのかもしれない。
例えば推しアイドルのライブを見て「元気をもらった」と思うのはそこにある種の健気さを感じているからではないだろうか。
その対象が見せる「苦難にめげず挑むひたむきさ」というものに投影することで、自身が持ってる苦しみを和らげていたり、応援したいという気持ちが刺激されたりするのだろう。
そう考えると、家がないという環境は想像しうる苦難の中でも果てにあるものだ。
つまり何が言いたいかと言うと、私は彼のことを一種のアイドル(あるいは輝いた存在)として見ていた。
こういった考えはステレオタイプやイメージの押し付けであり、決して褒められたものではないかもしれない。
私の頭の中では「偏見を根幹とした推しの感情」と「偏見を打ち消そうとする思考」が常に戦っていた。 その頭の中での戦いを経て、私は不健全な同情が自分の中に芽生えていることを自覚し、そして、いわゆる罪滅ぼしなのかわからないが行動を起こしていた。

推しに感謝を伝えるのと同じ感覚で、彼に対等に感謝を伝えようと。

おくりもの

私は感謝を伝える手紙と共に何か贈り物を渡そうと画策していた。
しかし、ホームレスの方に贈り物をしたことがないため何を渡そうか迷っていた。
日用品や食料品なども少し考えたが、どちらかというと彼の活動を応援するものを贈りたいと思っていた。
頭に浮かんでいたのは「楽譜」だった。
彼はいつもぼろぼろの紙一枚の楽譜を置いてピアノを演奏していた。
ここはひとつ楽譜を贈って曲のレパートリーを増やしてもらおうという考えだ。
単純に、朝聞こえてくる音楽が知っている曲だと、なお嬉しいだろうという私利私欲もあった。
(この選択は後々考えると彼をコントロールしようとする邪悪な思考が根底にあったのかもしれない)
私は購入した楽譜を彼に渡そうといつもの場所に向かったが、その日、彼の姿はなかった。
仕方がないので、楽譜は放置されているピアノの上に置いておくことにした。
そして、贈った楽譜と一緒に紙一枚の手紙も添えておいた。
文言を覚えているわけではないが、ありきたりな文章で、駅前の演奏に元気をもらっているといった旨の内容を手紙に書いたはずだ。
その贈り物をした後も、駅前で彼の前を通る時はいつものようにただ耳を傾けて通り過ぎるだけの日々だった。
ただ、以前より少しだけ演奏されている曲目に注意を払うようにはなった。
渡した楽譜が使われているか気になってしまうからだ。
その日からラジオ番組のコーナーにお便りを出したような気持ちで日々が過ぎていく。
しかし、あちらもあちらで特に今までと変わらず演奏をしていて、贈った楽譜を使った様子もなかった。そんな風に前と同じような日々がまた続いた。
そして、ふと気づいたら、いつの日か駅前で彼を見かけないことに気づいた。

日常へ

最後に見た日がいつなのかも思い出せないほどに「ああ、そういえば居ないな」といった別れだった。 結局、彼と会話することもなく、どこかへ行ってしまった。
いや、もとより彼と話したいという気持ちはそこまでなかったのかもしれない。
駅前に立って、ただ愉快に鍵盤を叩いていて欲しかった。
もしかしたら別の駅前で演奏しているのではないかと考えながらも探したり調べたりすることもなかった。
彼がいない駅前、それはそれで日常に戻ったと言える。
駅前でホームレスがピアノを演奏している方がよっぽど非日常だ。
日常が続くと人は非日常を忘れてしまうもので、しばらく日が経ってしまうと彼の記憶さえも薄れていた。
そんなある日、私は思いがけない場所で彼の姿を目にすることになる。

2回目の出会い

休日、散歩中に「美味しい定食屋か何かが見つかればいいなぁ」と思いつつ、路地を物色していた。 その路地は飲食店が多く、いかにも偶発的な「当たり」がありそうな町並みだった。 しかし、その「当たり」は全く別の方向からやってきた。
その時、私の視界には選挙の大きな看板があった。
各候補者のポスターがずらっと並んでいるアレだ。
いつもの私ならば特に見向きもせずに通り過ぎることだったが、1つだけどうしても目が離せないポスターがあった。 そのポスターは少し離れた場所からでもA4のコピー用紙に白黒で印刷されている粗末なものということがわかった。 ポスターというにはあまりにも質素だったが、それも話のネタになるだろうと私は近づいた。 そこには候補者の名前や過去の実績のような文章がびっしりと印刷されていた。 なんだか気味が悪いが、見てみるとその中には候補者の顔写真も載っていた。
白黒の粗い画質だったものの、その写真には見覚えがあった。

あのホームレスだった。

ポスターに書かれている名前で検索してみると、どうやら今まで彼は何度か出馬していたようで、過去にいろいろあって今のような生活をしているようだ。 もともとは駅前で元気を与えてくれた存在である彼に、何か大きな信念があることを知った瞬間だった。 意外は意外だったが、なんとなく腑に落ちるような気持ちもあった。 普通のホームレスは駅前でピアノは弾かない。少なくとも私は彼以外に見たことはなかった。何か信念がないとあのようなことはできないだろう。 彼に対する印象が変わる瞬間だったが、そのことすらもまた月日が経つにつれて半ば忘れていった。
思い出すこともなくなった。
いつになっても彼は駅前に現れなかったからだ。変わらず、彼がいない日常が過ぎていった。

消えていた日

そんな日常の中で、ふと私は「そういえば昔面白いホームレスがいたなぁ」と選挙ポスターの写真をスマホから探し出して、そこに書かれている名前をGoogle検索した。 たまに昔流行った芸能人が今どうしてるか気になるみたいな感覚だ。

検索上位の記事のタイトルの先頭には【訃報】の2文字があった。
記事の内容を見ても、やはりその人物のことだった。
記事によると(検索をした当時の)昨年に彼は亡くなっていた。
そのことを知った瞬間、私はガツンと頭を打たれたような衝撃を受けたが、次の瞬間にはすんなりと受け入れてしまっていた。
家族が亡くなったならともかく、話したこともない人の死を悲しむほどではなかった。
単純にリアルタイムの訃報ではないから、悲しみがなかっただけなのかもしれない。 かといって、生きていたうちにもっと見たかっただとか、話してみたかっただとかの冷静な後悔が芽生えるわけでもなかった。

それでも、私の中には悲しみや後悔には分類できない未解消の気持ちがあった。

幻想

私は昔からホームレスに憧れがあった。
どこまでも自由に見えたからだ。
物を持つこと、人といること、帰る家があること、そういったしがらみから解き放たれているように”見えた”からだ。
もちろん実際のホームレスの生活はそんな自由なものではないだろう。
酷い勘違いだが、少なからず憧れと言っていい感情があったことは確かだ。
私は就職活動中に家が大変なことになって、1週間程度ホームレスになっていたこともある。
といっても、大体ネカフェだったり夜通し歩いたりでThe ホームレスな生活は体験していなかった。
やはりこの憧れは実際のホームレスに向けてというよりかは、私の頭の中の実在しないホームレスという幻想に対して向いているに違いない。
そんな幻想に対する憧れと同じものを彼に対しても向けていたわけだ。
私の知っている彼は駅前でピアノを弾くという全体のごく一部を切り取った姿だ。
その一部に加え選挙に出馬していたという事実により、私の中のホームレス像はより現実離れしたものに成長していた。
先述にもあるようにアイドルに近しい見方をしていたのかもしれない。
かと言って、実際の推しアイドルほどに彼に親しみがあったかというとそうでもない。
これだけ文章を書いておいて、彼に対する感情、距離感はその程度なのだ。
いつの日か見かけていた知らない人が知らないうちに消えたということを知っただけに過ぎない。
毎朝、駅前で彼を見かけていたという些細な繋がりでしかないのだ。
それでも、人はたまに、ただ知っている程度の他人を思い出してしまう。
この記事で彼に冥福を祈るつもりも感謝を述べるつもりもないが、ただ自分の中にある彼の幻影を埋葬したかった。
面識もない私が彼を語るのも烏滸がましいが、風変わりな喪失を書き残して心の折り合いを付けるくらいなら許してくれはしないだろうか。
私はただ駅前で見かけるだけの”繋がり”をブログを用いて浮き彫りにして埋葬したかったのだ。
そう思うと、どんなに他人とつながりのない人でも、それこそ袖振り合う縁によって心の中に残り、こびりついて、なかなか剥がれ落ちないものだ。
私がそのこびりついている物を落とそうとしていること自体が何よりも繋がりの証拠だろう。
駅前のピアノの前を立ち止まらず通り過ぎた数だけ強く私の中にこびりついたように、SNSのタイムラインに流れてくるいいねしたこともリプライしたこともない人々も、きっと私の頭の中で確実にこびりついていることだろう。
私という存在もできればあのホームレスと同じくらいには誰かの心にこびりつきたいものだが、実際に私がどう認識されているかはきっと私が亡くならないと誰にも認識できないことだろう。

だからこそ、
駅前でピアノを弾く彼のように、いいねされないツイートのように、読まれないブログのように。

強く生きようと私は思った。

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