江戸東京博物館に入った話
ついに江戸東京博物館に足を踏み入れる予定を作った。 これはただ江戸について知りたくなっただとか、レジャー気分のそれとは違う動機によるものだ。 1つ前の記事を読んでいた方がいればご理解いただけるかもしれないが、私は江戸東京博物館へ畏怖と崇拝の意を持っている。 該当記事をわざわざ読むのは面倒な方向けに説明すると以下の通り。
- 江戸東京博物館を初めて見た時に驚いた
- クソデカイから
- 実際の体積以上のデカさを感じた
- この感情を解消するには実際に江戸東京博物館に入るしかない!
- 中身を知り理解することで不明瞭さから来る恐怖を消し去る
- その奇怪な外見も中身は一般的な博物館であることを知る
つまりは江戸東京博物館は建物がデケぇから恐れ多い。でも実際に博物館に行けばそんな気持ちもなくなるのでは?って話です。
いざ、江戸東京
そんな恐怖の呪いを解くために、私は江戸東京博物館へ行く予定を立てました。 当日、私は江戸っ子パワーを貯めるために、本格派の蕎麦屋でせいろを頼みズルズルと「啜り」をキメておいた。 江戸っぽいもので腹を満たすことで江戸東京博物館に入るための儀式にもなる。 和服でも着ていこうかとも思ったが、まぁ浮くだろうからやめておいた。
さて、腹ごしらえも済ませ、すっかり江戸っ子の気分になったまま、いよいよ両国に向かう。期待していた通り、あの形容し難い建造物は不意に現れる。 前回のブログでも書いたが、江戸東京博物館はすぐ目の前になるまで近づかないと現れない。 まるで魔法のように聞こえるかもしれないが、実際にそう感じてしまう魔力が確かにそこにはある。 実際に入場する前に、すぐ近くの両国国技館の入口を観光してみたが、やはりその後ろにそびえる江戸東京博物館が気になってしまう。 両国といえばもはや相撲ちゃんこ国技館ではなく、そのクソデカ建築物なのだ。 ついに意を決して入場口に向かう。 緊張と興奮が混ざり合い、前人未到の地へ脚を踏み入れる探検家のような気分だ。 入場口に近づき、その建築物を目の前にするとますます化け物じみた存在に思える。 中に入ろうものならそのまま噛み砕かれ消化されてしまうのではないかとさえ思う。
そんな化け物の体とはいえ、入場にはお金がかかる。 よくよく考えるとここは博物館だ。 入場料さえ払えば入ることができる。 そういった当たり前のことで江戸東京博物館の神性、不可解さが和らいできたようにも感じる。 コロナ禍の中でもそれなりに人は来ていて、ちょっとした列もできていた。 この人たちも江戸東京博物館のデカさに惹かれ誘われるように入場券を手にしたのだろうか。
入場口を通過すると、あの巨体の中に入る上りエスカレーターがある。
以下の画像の右奥にあるチューブがそのエレベーターだ。
とうとう江戸東京博物館の中に入ってしまうわけだ。 ついこの前は宇宙的恐怖さえ感じていたが、今ではその恐怖の内側に行くことになる。 キャトルミューティレーションされる牛のような感じだ。チューブに吸い込まれていく瞬間はもはや恐怖というよりは不可解だった。 そんな思いとは裏腹にエスカレーターは私を未知の世界へ運んでゆく。 側面の壁には明治時代の人々の絵が描かれており。 どうやらこのエスカレーターはタイムトラベルのための装置の役割を持ち、これから目にするであろう江戸へのワームホールだったことがわかる。 ガラス越しに見える地表は少しづつ離れてゆく。 ああ、もう引き返せない、取り返しがつかない、そんな焦燥感も湧いてくるがそれよりも期待が上回る。
江戸への扉
やっと展示の入口である最上階に到着し、係員に入場券を見せ、ようやく江戸東京博物館の全貌が目に入った。
そこは江戸であり東京だった。
かつて存在した日本橋が目の前から奥の展示へ繋げるように伸びている。 そう、江戸の下町における中心である日本橋はこの江戸東京博物館に存在したのだ。 どうやらエスカレーターがタイムトラベル装置であるという仮説は間違っていなかったようだ。 正直ガラス越しの展示ばかりで退屈だと思っていたが、まさか江戸時代の日本橋を再現した展示まであるとは驚きだった。 精巧な「江戸」を目撃したという高揚感を胸に私は橋を渡る。
ここからは膨大な量の展示に終始驚かされるばかりだった。 あまり書いてしまうとまだ行ったことのない人たちへのネタバレになってしまうため、詳細は控えておく。 とはいえ、何も書かないのは心もとないので印象に残った展示を紹介しよう。 まずは当時の下町を再現したジオラマの数々だ。 館内にはいくつもミニチュアの江戸が展示されていて、当時の生活や江戸の構造というものへの想像をかき立ててくれる。 本や映像では得られない実在感のある江戸を感じることができるのは博物館ならではだろう。 しかもこの江戸東京博物館はその名の通り江戸と東京の博物館なので、近代の展示もされている。 中でも大好きな凌雲閣の模型や実際の瓦礫を見ることができたのはかなり心躍る体験だった。
江戸の治水
他にもたくさんの展示があったわけだが、最も私を驚かせた展示は江戸の治水に関するものだ。 当時の生活を思わせる資料や地図、模型の数々は驚きと感嘆の連続だった。
江戸という都市は、埋め立てによって河川や湾の形を変えたり、飲み水を利用するために上水を引いたりといった大事業が成功した成果物といえる。 現代においても洪水という災害を克服しきれていないように、当時も水を治めることは大事業だったのだろう。 上水下水の整備はもちろん物流路のための水運整備や水害の防止など水を制することはそこで快適に暮らすことと同義と言える。 現代にも当時の地形が残っているものも多く、東京の水も江戸時代の治水事業の礎の上にあるといっても過言ではない。 東京という都市は江戸時代から続く治水の歴史の上にあるのだ。 とてもためになる展示であるとともに、住んでいる東京という土地に偉大さに気付かされたひとときだった。
以上のように多くの展示を楽しんで、私はとても知識欲を満たされた。 江戸東京博物館への畏怖と崇拝は前より和らいだような気もする。 少なくとも以前のような謎の建造物という認識は改まり、身近な存在になったように思う。 思っていた通り、博物館は博物館でしかなかったわけで決して宇宙的恐怖の対象ではなかった。 そんなことがわかっただけで満足な一日になりそうだ。
Back to the Future
帰りは同じエスカレーターを降りてBack to the Futureしていく。 今では入る前に外から見た建物とは全く違うように見える。
そんなことを思いながら、私は帰宅するために出口から武道館側の道へ向かった。 そこで私は見てしまった。この江戸東京博物館の裏の姿を。
それは「東京都下水道局」だった。
先述のとおり、この東京は江戸時代からの治水技術によって成り立っている。 私は江戸東京博物館を通して治水の歴史、上水下水の重要性を深く思い知った。
そんな重要な治水を司る施設が目の間に現れたのだ。 つまり、江戸東京博物館は「江戸東京」の名を冠して多くの展示を持っているだけでなく、東京の下水道局を内包していた。 これはただごとではない。要は江戸東京博物館が東京そのものを支えていたのだ。 そこで私は再び江戸東京博物館に対してより大きな畏怖の念を持ってしまった。 そう、江戸東京博物館はクソデカイだけでなく、ここ東京という都市そのものであり、東京を司る存在だった。 宇宙の端まで辿り着いたと思っていたら、如来の手のひらの上に過ぎなかった孫悟空のような気分だ。
我々は江戸東京博物館に生かされている。