江戸東京博物館がデカい

要約

  • 江戸東京博物館がデカい
    • 形が異質だから
    • 威圧感があるから
  • 気になって仕方ない
    • 療法を考えた

江戸東京博物館への感情

「デカイもの」といえば何を思い浮かぶか人によって違うだろう。 スカイツリーや東京ドームにさいたまスーパーアリーナ、富士山に地球に宇宙、いろいろと思い浮かぶだろう。

私がまっさきに思い浮かべるのは「江戸東京博物館」である。 両国にある名前通り江戸に関する博物館で、私はまだ中に入ったことはない。

さて、江戸東京博物館がどれくらいデカいのかをご説明しよう。 この建物は上部が大きく張り出ていて、全体として角張った印象がある。 例えるなら、1階が駐車場になっている国道沿いのヤマダ電機を太らせたような建物だ。
そして、外壁は白く、四足歩行生物のような形をしており、スターウォーズの帝国軍のAT-ATようなイメージが近い。 ダラダラ書いてはみたが、百聞は一見にしかずというわけで、以前両国に行った時に撮った写真を載せみにくいねよう。(夜に撮ったのでみにくいね…)

江戸東京博物館

これでとりあえず形状自体はわかってもらえるだろう。 菊竹清訓という建築家が手がけたものらしいが、他の建築作品を見てみると特徴的なものが多いようだ。

画像だけでは信じられないと思うが、私はこの建物を初めて見た時にこれより大きい存在はこの世にないと思うほどの衝撃を受けた。

というのも、この建物は私に多くのイマジネーション、連想を与えた。というのも、 1つはこの建物が地球の土台ではないか、という推測である。 まず、かつてこの地球と同じくらいの大きさの星があり、江戸東京博物館が逆さまの状態でその星に立っていたする。そして、逆さまの江戸東京博物館を土台として上に土を乗せてできたのが今の地球というわけだ。つまり、かつて存在していたもう一つの星は、この地球を作る過程で消費されてしまった。 いや、逆に遠い未来、江戸東京博物館を土台として新しい地球が形作られるのかもしれない。 そういった陰謀が頭をよぎる程度にはその建物との出会いは強烈だった。 (もちろんこの妄想はミヒャエル・エンデのモモの中にあるエピソードが根底にある)

地球の土台

他に連想された感情は「恐怖」である。 江戸東京博物館に関わらず、人は巨大なものに出会った時に恐怖を覚えるだろう。 それは原始的な感情であるものの、 ただこの感情はただ大きいものを見た時のそれとは一線を画すようなやや異質なものだった。 タワーやドームといった建造物はその形状の意図や理由というものが理解しやすい。 しかし、江戸東京博物館は謎に包まれている。 理解不能で人知を超えた無機質存在でありながら、今にも動き出しそうな生命体的存在にも見える。 江戸東京博物館に対するあらゆる理解や認識はあまりにも無力で価値がないものとして扱われているのでは、という不安と孤独感に襲われる。 それはいわゆるクトゥルフ神話的な宇宙的恐怖(コズミックホラー)に近いだろう。

突拍子もない妄想と宇宙的恐怖について述べたが、要するに私が持った感情は「理解できないそのデカさ」によって心を動かされたということだ。

以上のように、江戸東京博物館(このページだけで何回言うねん)に対する感情は少しくらいは整理できた気がする。 次はその感情を分解してみよう。

なぜデカいのか

そこで考えてみる。なぜ江戸東京博物館が一番デカいと思うのか。

実際に体積や面積を調べさえすれば、その大きさを比較することは容易だ。 しかし、私が江戸東京博物館に対して感じる「デカさ」というものはきっと数字上のものではなく、別の問題が関係しているはずだ。 というわけで、デカいと感じた理由を大きく2つの要素に分けて考察してみた。 とはいえ、私自身そのデカいと感じる原因を特定しきれていない。 ふと湧き出た感情というものを因数分解するのは難しい。 したがって以下の考察はあくまで推測であり、こじつけに近い。 それでも私はこの「クソデカ江戸東京博物館へのクソデカ感情」を文章化する必要があった。 憑き物を落とすために。

要因1 形状

私と江戸東京博物館との出会いはすぐ横の道を通りかかった時だった。 画像でも示したように江戸東京博物館は不思議な形をしている。 その屋根のような部分は、すぐ近くで見ると空をすべて覆うような威圧感があり、これは東京スカイツリーやSSAでは得られない感情である。

また、スカイツリーのように「高さが特別あるわけでもない」ことも影響が大きい。 高い建物は遠くからも見ることができるため、近づいてみても大きな驚きは生まれない。 また、ドーム状はドーム状でその丸さである程度大きさを推測できる。 しかし、四角い立方体の巨大建造物は他の高いビルに遮られるため、日常の街並みから突如現れる。 そして、近くで見るとその奥行がまったくわからないのだ。 そのギャップと底知れなさが先述のデカい感情をもたらしたのかもしれない。

要因2 江戸東京博物館=大豪院邪鬼

魁!!男塾という漫画に出てくる大豪院邪鬼というキャラクターをご存知だろうか。 彼は初登場時に非常識な大きさで描かれる。 何mもある椅子に座り、人の身長くらいある瓶から注がれたビールを片手で飲む作中で異例のデカさを誇る描写だ。 しかし、大豪院邪鬼は次の登場時には常識的な大きさで描写される。 その理由について作中では「闘気と威圧感」によって錯覚したと説明されている。 江戸東京博物館についても大豪院邪鬼のように畏怖の感情からデカく見えるのかも知れない。

なぜ錯覚を覚えるかを考えてみると「江戸」であることが少なからず関係している気がする。
私は幼い頃から江戸時代の文化や生活に対して憧れや好奇の思いがあり、それによって江戸東京博物館の権威が私の目にデカさとして映ったのかもしれない。

加えてその畏怖の感情は先述の形状による部分も大きいので、結局は1つの要因にまとめてしまってもいいかもしれない。

デカに対する行動療法

デカさについて考えてみたが、おそらく文字にしただけではまだ足りないと思う。

未だに「江戸東京博物館のデカさ」が限られた脳のリソースを常に圧迫している。

まだ憑き物は落ちていない。

では、何をすべきか想像してみよう。 こういう療法は私は大好きだ。今年の1月にも金閣寺への感情をどうにかするために実際にミニチュアの金閣寺を焼いたことがある。 しかし、江戸東京博物館についてはもっと単純で簡単だ。それは江戸東京博物館に実際に入る、ということだ。

私は一度も入ったことはないが、外観の異質さと裏腹に内部はきっと一般的な博物館のはずだ。中に足を踏み入れることで、異常だと思っている存在を「なんでもない当たり前のもの」として認識してしまえばよい。というわけで、近いうちに江戸東京博物館を見に行こうと思う。

そういった整理と決意のためのお話でした。