昔話の思い出
誰しも幼い頃に昔話というものを読み聞きしたことがあるでしょう。 当時はきっと昔話の中の化物や妖怪の存在を信じていたと思う。 事実、私が5歳くらいの時に「河童が飼育されている動物園があるらしい」という話を信じていた。 子供ながらに本当かな?と疑ってはいたが、きっと探せばあるんだろうとどこか信じる自分もいた。
ところが、今は鬼も河童も信じていない。 それは昔話が作り話だと知っているからだ。
しかし、この前、少しだけ昔話の世界に足を踏み入れた気持ちになったので、ここに記録しておこうと思う。 そうでもしないと、忘れてしまうくらいしょうもない些細な話だからだ。
ロビーのおっさん
ロビーでの目撃
コロナ禍の中、外出の数も減り、外へ出ても以前のような人ごみを見ることは少なくなった。 この日、私は食料を買いにマンションを出た。
ここで簡単にマンションの構造を簡単に説明しよう。 まず、建物にはオートロックがあり、その内側にロビーという空間がある。 ロビーにはソファとテーブルがあり、たまに待ち合わせをしているであろう人たちがソファに腰を下ろしている。
さて、食料を買いにマンションを出た私だが、この時はロビーに人がいるかは確認していなかった。 というのも、ロビーはマンションの出入り口とは逆側に位置し、意図的に見ようとしない限りは視界に映らないからだ。 逆にマンションに戻る時は、ロビーが嫌でも視界に入る。 なので、私は買い物を終えてマンションに戻った時に初めて「ロビーのおっさん」を見た。 そのおっさんはソファに深く座して、何かしているわけでもなくただただそこに佇んでいた。 その時は、たまに見かける待ち合わせをしている者だろうと特に気にせず通り過ぎた。
数日後、再び買い物に外出した時、同じおっさんがロビーにいることに気付いた。
その後も何度か同じことが起きた。
一日に二度見かけることもあり、待ち合わせにしてはさすがに長すぎる。 とはいえ、オートロック内にいるため全くの無関係者というわけではないように見える。 この時までは、私はそのおっさんをちょっと変な人程度の認識でいた。
おっさんの忘れ物
また少し日数が経ち、おっさんを見かけることもなくなった。 そのこと自体は特に気にすることもなく、日常は日常のまま時が流れていた。 しかし、ロビーであるものを見かけた。 それはあのロビーのおっさんがいた席にあった。
はっぱと石ころである。
昔話
この都会東京での生活において、ソファの上にはっぱと石ころがあるという光景は極めて奇怪で不釣り合いでだ。 この場面に遭遇した人が思いつくことは1つだろう。
「おっさんの正体ははっぱと石ころだった」ということ。
この体験は無意識のうち私の中で昔話として尾ひれが付き、おっさんがなぜロビーにいたかという理由が作られていく。 ここではあえてその昔話の内容は書かないが、そこに無限の可能性がある。
どんなコンクリートジャングルにも夜には星空が見えるように、人がいる限り昔話は存在する。 「おっさん」と「はっぱ」と「石ころ」があれば、怪異となり昔話として伝えることができてしまう。
私は昔話の誕生に遭遇したのだ。
昔話を探そう
最近、柳田國男の「日本の昔話」を読んでいる。 たくさん日本中の昔話を読むとある程度パターンがわかってきて面白い。 そして、その昔話がどのように生まれたかを考えるとまた面白い。 桃太郎も「おっさん」と「はっぱ」と「石ころ」から生まれたのかも知らない。
逆に、我々の現代社会での生活は昔話からかけ離れているようで実はそこらへんに昔話が転がっているのかもしれない。 みなさんもたまに考えてみてはどうでしょうか。
最後に、この体験をした翌日のソファをお見せしよう。
おっさんはいなくなってしまった。
って思っただけの話。