令和にアイドル事変とカニ☆Do-Luck!にハマった人の感情の話。(と言いつつ8割はアイドル事変のこと考えながら書きました)
毎度のことながら、自分の感情を落ち着かせ幸福度を上げるための文字列コネコネ筆記開示にすぎないのであしからず。
TL;DR
- 過去を取り戻すことはできないのは辛い
- 全盛期を体験できなかったのは辛い
- どう生きていくか
- とにかく再生しよう
- 人とつながろう
- 希望を捨てないでいよう
- 出会いを大切にしよう
失うはずだったもの、取り戻せないもの
過去に遡って作品を楽しむことは嫌いではない。というかむしろ好き。 しかし、遡りの辛さに最近頭を悩ませている。
最近ハマっているものが2つあるのだが、それが両方とも少し過去のもので少し厄介な感情になってしまう。 それぞれ挙げてお気持ち長文してみよう。
失うはずだった永遠 アイドル事変
そもそもアイドル事変とは2016年にアプリゲームリリース、2017年にアニメ化され2ndライブが行われたアイドルコンテンツである。 しかし、アプリゲームはメンテナンスが長期化し、最終的にそのままサービス終了という異例の結末を遂げた。
なんだかよくわからんが、当時の放送を見た自分は大層気に入っていたらしい。
アイドル事変最終回見たけど最高すぎて最高機関であって、国の唯一の立法機関になった
— ほろあま (@horoama) 2017年4月3日
寝ぼけてインストールした程度のやる気ではあるが、一応プレイはしていた。
アイドル事変なぜかこの前寝ボケてインストールしてた
— ほろあま (@horoama) 2017年1月8日
一応デレステのような音ゲーだが、お世辞にもよくできたゲームとは言えなかった。 とはいえ、唯一アニメ以外のキャラクターたちについて知ることができる場ではあった。 私はあまり深くプレイしてなかったので、収録されている曲もアニメOP程度しかプレイしておらず他の曲に触れることをおろそかにしていた。 つまり、自分がちゃんと享受したのはアニメのみで、アプリはそこそこ、曲もそこそこしか楽しんでいなかった。 もちろん2ndライブに参加することもなかった。
そして最近になってアイドル事変の曲をよく聞くようになった。 きっかけは色んな複合的なもので一つに絞ることはできないが、バンダイチャンネルで久しぶりにアイドル事変を見たことが大きいと思う。 ツイートからきっかけを考察してみよう。
アイドル事変のこと考えてる
— ほろあま (@horoama) 2019年9月12日
何がトリガーだったんだ…わからん
とにかくこの後からバンダイチャンネルを見て、曲を聞いて、すべてのCDを集めて、すべての円盤集めるまでが短かった。
先述の通りアイドル事変にはずっと新しい展開はないし、今後もないだろう。
今、私はアイドル事変の全盛期を追体験しようと必死になっている。 なぜ、当時にもっとハマらなかったのかという後悔が常につきまとう。 アイドルコンテンツ特有の「もっと大きなステージに連れてってやるぞ」や「最高の瞬間がまたこれからも続く」を感じるという醍醐味すら今は得られない。 永遠という幻想すら見ることができず、そのまま未来は閉ざされた。
(最近夢女子が推しのソシャゲサービス終了したみたいなのがバズってましたね。私は既に亡くなった後に、つまり死体と婚約してしまった感じですね。ティム・バートンのコープスブライドじゃん)
取り戻せない一瞬 カニ☆Do-Luck!
アイドル事変に比べてカニ☆Do-Luck!は当時の興味は低かった。 自分の過去のツイートを「カニ」とか「あいうら」で検索してもかなり少ない。
再び注目することになったのはサブスクリプションの力だ。 ふとこんな曲あったな〜といった感じで再び出会った。 それからというもの、そりゃもう鬼リピートしてる。
しかし、カニ☆Do-Luck!はもうどのライブでもやらないだろう。 そういうような曲ではない。 言わば一瞬を駆け抜けたアニソンだ。 有名なのかもしれないが、なんとこの曲はアニサマという大きな舞台で披露された。 これは1クールのアニメが起こす奇跡であり、あいうらぶにとっての全盛期と言っても過言ではない。 それを私は見ることはできなかった。
リアルタイムに更新される最高を体験したかった。 だが、今何をしようとそんな願いは変わらない。 アニサマという一瞬を逃した喪失感は大きい。
いろんなコンテンツにおいて共通で言えるが、自分が逃した体験はいつまでも足かせのように重たく引きずることになる。
なぜこんな感情になったか
私は関連する作品から過去に遡るのが大好き。 映画や本は特に古いものが好きな気がする。 (ここ数年は著者が生きている本を読んでいない)
そういった作品を楽しんだ時に、先述のような悔しい感情は全く起きない。 この先新しい更新が出てこない点や全盛期が既に終わっているという点では違いがないはずなのに。 映画や本とアイドル事変がどう違うのか紐解いていこう。 全然違うやろってツッコミがあると思うが、それはそうね。
つながる文脈
私が思うに映画や小説と違って、音楽(特にアニソン)というものは曲そのものとそれに関わるキャラクターの人格が密接に関わっている点が異なるように思う。 映画は1本で完全に完結している。 (もちろん長く続くシリーズものという例外はあるが) 基本的に物語を好きになる時、愛着が湧く対象はその物語の中の存在であり、制作者や役者ではない。 少なくとも私はそういう感覚でいる。 しかし、音楽はアーティストが直接表現を行っている。 そうなるとアーティスト本人に対する愛着、文脈が深くなる。 もちろん後ろには作曲作詞家だったりディレクタープロデューサーがいるが、アーティスト自体の人となり、容姿、性格にどうしても注目してしまう。
アイドルものコンテンツとなるとそれは顕著だ。 特に最近の二次元アイドルコンテンツではアプリゲームがあり、そのプレイ体験によって紡がれる文脈もある。 それ全体が1つのコンテンツとして機能しているため、曲を聞くだけではその曲の100%の価値を手にすることはできない。 その曲が持つ文脈にこそ価値がある。
一度きりの体験
映画には上映期間があるが、1度きりのものはない。毎回同じものを見ることができる。 しかし、TV放送、ライブといったものは限定的な時間に刻まれる。 そこにリアルタイムという醍醐味があるのだろう。
特にアニソン/キャラソンは1クールのインスタントな体験に限定されてしまいがちだ。 わずかな期間で声優がキャラソンを歌い、リリイべをして、円盤購入者が集うイベントでライブをする。 そういった短い時間で全盛期を終える。2期でもないかぎり、再びその曲が歌われることはない。
旬であるその時間に寄り添えなかったことへの後悔がこの辛さの大きな原因だ。
今を生きよう
じゃあどうすんの?なんで今更アイドル事変のこと考えてるの?いつまでカニカニ言ってんの?
ごもっとも。世の中もっと旬なコンテンツはある。それに時間を使った方がまし。 という話になる。
私自身、ここ最近は初めて知ったタイミングと実際に好きになるタイミングのラグがひどい気がするし、あんまり精神衛生上よくない。 乗り遅れるくらいならマシだが、気づいた頃には既に死んでいた場合はお手上げだ。 ハマってしまったものは仕方ないので、なんとか、この辛い感情を解消できないか考えてみた。
再生するしかない
この節は以下の3つを心がけようというもの
- 音楽を再生しよう
- 話題に挙げよう
- 二次創作しよう
まず一つ目は、音楽は再生すること自体に価値があり、文脈はつながるという考え。 まぁわざわざ言葉にしなくても、好きな音楽は再生しちゃうものだろって話ですけどね。
私が音楽に対してできることはただ一つ「再生」
音楽は3分程度に詰め込まれているからこそ、繰り返し再生できる。 耳だけで享受できるからこそ、何か別の物事と同時に再生できる。 そして、音楽と日常が密接になることで自ずと日々の記憶と紐づけられていく。 例えば、帰り道によく聞く曲があったとして、その曲を聞くとその帰り道の情景が浮かぶだろう。 マニ車を回し徳を積むように、音楽を再生し文脈を紡げばよい。 つまり、元のコンテンツに更新がなければ、自分がその音楽の物語を進めればよいという話。
だから、逃した過去に拘泥する必要はない。 ライブやゲームがもつ文脈は強力だが、音楽という娯楽は個人の力で蘇らせることができる。 ただ再生ボタンを押すだけ。なんて素晴らしいんだろう。 音楽の本質は再生。 再生できるかぎり悲観する必要はない。(と思い込もう)
話が変わって、音楽ではなくキャラクターにおける「再生」とはなにか? アニメBDを再生することはもちろんだが、キャラクターを再び生かすという意味では絵を書いたり話題に挙げることも再生といえる。 実際、何十年も前のコンテンツでもタイムライン上でよく話題があがったり二次創作が活発だったりすると、あたかも更新が続いているように感じる。
3人になろう
コンテンツと一対一の関係ではダメで、他の人を巻き込んだ三者関係が健全ではないか?という考え。 ここでいう一対一は、そのコンテンツに対する感情等を共有せず殻に閉じこもっている状態を指す。 第三者とつながることで三者関係になり、それはグループ、社会となる。 ここでいう第三者は何かというと、他のファンのことだと考える。 幸いこのご時世、SNSによって容易に社会を形成できる。 コンテンツ側の更新がない以上、積極的に良さを共有することが世界に影響を与える唯一の手段と言える。 なので、どんどんアイドル事変最高!カニ最高!ってのを共有していこうと思う。 そして、この記事自体もその共有欲によるものといえるだろう。
追体験、あるいは記憶捏造
私は今アイドル事変のアニメを見ることを控えている。 アニメ放送までアプリや曲を楽しんでいた人の気持ちをトレースするためだ。 思い入れが強くなり「ついに大好きなキャラクターがアニメで見られるぞ!」という気持ちになるまで、あえてアニメは見ない。(いや、もう見たことあるんやけどね) そうしてると、自分の過去の体験を含む記憶が塗り替えられていく気がする。 そう、誰でも今から最古参になることができる。
カニ☆Do-Luck!については、アニサマが映像ソフトも出ているので記憶の捏造もしやすいだろう。 アイドル事変2ndライブはセトリと写真くらいしか情報がないので想像に委ねられる部分が大きい。 過去を変えられるかは自身の想像力次第だ。
私はこの方法で過去のいくつかのLV参加を現地参加にねじ曲げることができた。 とはいえ、見たこともないライブ体験を捏造するのはかなりの創造力が求められる。 そういう時は他人の記憶を使うのが有効だ。
というわけで、アイドル事変2ndに参加した方がいたらめちゃうま飯奢るので、その日の体験を語って欲しい。お願い。記憶を売ってくれ
なんなら嘘でもいい。
芥川龍之介 藪の中 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/24454_47036.html
希望を捨てない
少し話が変わるが、私は以前安済知佳さんのデビュー10周年のイベントに参加し、あの「すずかぜ」を聞くことができた。 すずかぜは悪魔のリドルの曲であり、2014年のイベントで披露されたものが最後だ。 それが5年ぶりに披露された。 しかも、それは2014年のイベントでの歌い方とは大きく違うものだった。 当時はキャラクターの性格上あまり感情を込めた表現ができなかったが、このときは起伏の大きい歌い方になっていた。 間違いなくそれは価値のある瞬間であり、物語が動いた瞬間だった。 (まぁ悪魔のリドルに関しては当時のイベントも行ってたし、今でも供給があるので過去に未練があるっていう意識はない) 何が言いたいかというと、これからの未来に希望を持つことも大事だということ。
今も関係する人達が生きているなら、今後なんらかの形でそのコンテンツが甦る瞬間が来るかもしれない。 大事なのはそういった情報を逃さないよう日々情報収集を欠かさないことだろうか。
「よろしく」を大切にしよう
一つ前の投稿と重なるが、生きているといろんなコンテンツに「これからもよろしく」される。 出会ったコンテンツをその後ずっと追いかけることが本当は望ましい。
ひとつひとつ受け取った"よろしく"を大切にすれば、今まで述べたような未練が残ることは減るだろう。 いわゆる「ミーハー」や「にわか」のような立ち回りになるが、後悔が残ることは減る。 そのコンテンツの展開すべてに触れてみて、ハマったら万歳、ハマらなかったらお別れ。非常に明快だ。 となると調整しなければならないのは「よろしく」される数だ。 ふいに「よろしく」されてしまうと回避できずにキャパシティを越えてしまう。 そこについては自分自身まだ答えが見つかっていない。 みなさんはどうしてるのだろうか。
あなたは今年いくつ"よろしく"を聞きましたか? そして、そのうちいくつを見捨てましたか? これからの私は「よろしく」される数を調整しつつ、その「よろしく」を全て受け取っていこうと思います。
そんな矢先、私はKiRaReに「よろしくお願いします(みぃ)」されてしまった。 リステ。アニメ化前から声優経由で知っていたが、これは大きな岐路に立たされている気がする。誰か助けてくれ。